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24通目

◎◎◎わたしより◎◎◎


こんにちは!
いかがお過ごしですか?

私は数十年ぶりの「読書ブーム」が到来中。振り返れば、心が求めて知らず知らずのうちに手にしていたのは『心の疲れをとる事典 やめてもいいこと86』(西多昌規さん監修)、『がんばらなくても死なない』(竹内絢香さん著)、『しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方』(きいさん著)など…心が疲れていたのでしょうね。数カ月経ったからこそ、気づけること、認められることがあります。

そのまま読書熱は燃え盛り、湊かなえさん、遠藤周作さん、岡部えつさん、乾くるみさん、山本文緒さん、辻村深月さん、角田光代さん、徳永進さん、江國香織さん、工藤直子さん、梨木香歩さん、河合隼雄さんと小川洋子さん、ジェーン・スーさん、川上未映子さん……「親しい人から教えてもらった」「書店で見かけて気になった」「読もうと思いながらそのままになっていた」という起点から、「この作家さんのほかの作品も読みたい」「あの作家さんが、この作家さんを紹介していた」と枝葉を広げるように読み広げていきました。

先日、ブレイディみかこさん著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読了。イギリスで暮らすブレイディみかこさんと中学生のお子さんの何気ない日常にある差別や格差、分断などを浮き彫りにし、それらに対して、ブレイディみかこさんとお子さんがどう捉え、考え、向き合っているのかについて書かれたノンフィクション作品です。

その中に出てきたイギリスのことわざ「相手の靴を履いてみること」。意味を簡潔に言うと、「他人の立場になること」で、本ではそこからシンパシーとエンパシーの違いといった興味深い話につながっていきました。ですが、私はここで「ほかの物でもいいはずなのに、どうして『靴』だったんだろう?」と、妙にそのことが引っかかってしまったんです。

インターネットで調べると、相手の靴を履くためには、
「まず、自分が履いている靴を脱ぐ必要がある」
「相手の靴とは、自分の好みでも、自分の足のサイズにフィットしているものでもない」
といった解釈を見つけ、「なるほど!」と思いました。

相手の立場になるには、
①「自分の靴=自分が手に入れられるもの、フィットするもの、お気に入りなど」を脱ぎ
②「相手の靴=相手が手に入れられるもの、フィットするもの、お気に入りなど」を履く
という、2段階を踏まなければできないということです。

私はこれまで、自分の靴を履いたまま、相手の靴を履こうとしていたかもしれない………そんなことにはっとしていた今日この頃。

どんなことを感じたり思ったり考えたりしていますか?

“はみだしお手紙”部分

「こんにちは!」から始まる、このお手紙を書いたのは、昨年2021年秋のこと。そこから中学2年生の娘に「何か書いて♪」「書いて~」「書いて…」「書いてください」とリクエストし続けてようやく!! 目途が立った(立ちそうな)ので、手書きで最近のことなどを書き綴ります~(2022.3.19~)

本当にしんどい、その渦中にいる時には、「しんどい」と吐露することはなかなか難しいものだなぁと思います。心は大丈夫ですか? 無理をしていないですか? 自分も大切にしてくださいね。

(ブレイディみかこさん著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)このシリーズの新刊が出ましたね!

読書熱は冷めやらず。今は「対話とは何か?」を考える哲学本を読んでいます。

対話。一方的に主張しない、押し付けない、「聞く耳を持たない」ではない、わかり合えなくてもいい、対話の前後で互いに何かしら変化する…などなど。余談のつもりで対話本を読んでいると書いたのですが、全体とリンクしている感じがしましたー!!

髪が伸びてぼわぁぼわぁしています、最近。


◎◎◎むすめより◎◎◎


最近、私が好きなことは
ダンスをおどることです!
好きなアイドルの曲にあわせて
おどるのがすきです!

☆★☆★☆

よく聞く曲は
BTSさん、TWICEさん
が多いです。

☆★☆★☆

私は甘い物が
大好きなので
カフェなどいって
おいしい食べ物
食べてます。
でも、ふとります笑

☆★☆★☆

「フリーペーパーの学校」
オンライン講座をして、
まわりの人たちが場の
空気をよくしてくれて、
すぐなじめて良かったです!!

母からの余談:
講座の中で「フリーペーパーをつくっていて楽しいと思うこと」として「フリーペーパーをつうじて、自分の思いを表現できて、それを伝えることができてうれしいです」と話していました。

☆★☆★☆

インスタのアカウントを
新しく作ったので
フォローしてくれると
うれしいです。

母から:
このお手紙を書き綴っているのは2022年3月23日。娘、ギリギリ中学2年生。春からは3年生です。

◎◎◎帯◎◎◎



どうしても書き綴りたくなった、追加のこの1枚。2022年3月21日(月・祝)に、只本屋島根浜田店&合同会社ユブネ主催の「フリーペーパーの学校」オンライン講座で、娘と一緒に「えんを描く」についてお話ししたことがきっかけです。

もう1枚のフリーペーパーに「対話」についてちらっと書きましたが、まさにフリーペーパーをテーマにした対話の場。語りや問いによって引き出されるもの、編まれていくものがありました。私自身は講座前後で、思いを強くしたり、「実はこうなのかもしれない」と捉え直したり、「こうするのもいいかもしれない」と新たな可能性や選択肢が見えてきたりと変化。対話の大切さを改めて実感しました。

余談ですが、この「リボン?いや、蝶ネクタイ?折り」をひらめいて実現できたのも講座のおかげ。娘が以前「扇子(=蛇腹)折りは?」と言っていたのを思い出し、その時は手間や置き場所、読後の再現性などを考えて諦めたものの、今ならできそうな気がしたので、やってみましたが…いかがでしょうか?

友だちにお手紙を書くようなフリーペーパー
「えんを描く」とは?
日々さまざまなニュースを見て感じていることがあります。それは身近な人間関係の中で、自分が大切に思われていることに気づけていたら、もしかしたら救われる気持ちがあったんじゃないかなということ。自分が大切に思われていることに気づけたり、相手に「あなたを大切に思っているよ」というメッセージを送れたりする、心の余裕を持つきっかけになるような、ほんのり優しい気持ちになるような、また誰かへの想像力を持てるような、そんなメッセージを届けることができたらいいなあと思いながら、中学生の娘と一緒につくっています。


20通目




こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

先日、取材講座の講師をする機会がありました。ライターとして13年ほど仕事をしてきた中で、さまざまな方々に教えていただいたことや日々取材する中で気づいたことを話し、その後、参加者同士で取材体験を。2時間ほどの講座で、取材について話す時間は50分ほどでしたが、その部分も含め、始まりから終わりの挨拶まで、事細かにセリフを書き込んだ台本を作成しました。

そもそも私は、しゃべってのコミュニケーションが苦手だから、書くコミュニケーションを選んでいるのだと、最近思うんです。めちゃくちゃ緊張しますし、何より自分の口から出る言葉と想いの不一致感に落ち込むことも。こういった講座をする時は、「ここまで台本に書く!?」と自分でもつっこみたくなるくらい、細かくセリフを書きます。

書き上げたら、その内容を自分の中に定着させて、自分の身体になじんだ言葉になるよう、何度も読み込みます。想像の中で、私は漫画「ガラスの仮面」の主人公・北島マヤ(憑依型の演技派女優)。ガラスの仮面を被り、もう1人の自分を演じるような気持ちです。

そんな必死な私を、10歳の娘はくすくす笑いながら見ていました。娘から見ても、よほどの大根役者ぶりだったのか…途中からは、台本を覗き込み、監督ばりに「『ここは○○しました』がいいんじゃない?」「ここはこっちを先にしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスが。

内容にも興味を持ってくれたらしく、突然「お母さんのことを取材するわ」と、取材ごっこが始まったわけです(クリックすると、拡大できます)。




「好きな音楽は?」「好きなお菓子は?」「好きな果物は?」・・・など、若い頃は聞かれたことがありますが、最近はあまり問いかけられない質問が次々と。少し考え込む内容だから、「そういえば、私」と娘の問いかけによって気づけた「自分」がありました。

取材講座でも、参加された方が「自己紹介より、取材し合うほうが、相手のことがより見えてくると思った」と話されていました。

自分で知ることのできる自分は限られますし、その多くは現在進行形の自分ではなく、「こうだった」過去の自分であることもあります。

人それぞれ、違うからこそ、気づけることも、引き出せることも、さまざまです。自分とは違う、「相手」がいてくれることで見えてくるものがあります。「相手」によっても、自分の見え方は異なるんですね。

取材でも、「自分やそのほかの人たちと、この人の違いはなんだろう」を掘り下げて、「この人だからこその、メッセージ、根本にある経験や想い」などをうかがうことを大切にしています。

話は戻って、娘と私の話。

私たちはよく、「趣味も、センスも、あわへんからな」と笑い合います。洋服やブローチ、お手紙アイテム選びなどでも、お互いに「いい!」と思うものが違っているからです。

「なんで、それなん?」「何セレクト?」「その組み合わせ、ないわ~」とつっこみを入れながら、「それ、なかなかええやん」と発見したり、「そんな魅力もあるんや!」と気づいたりできることもあるんだと、娘との関係性から教わりました。購入するとなると、小競り合いすることもあるんですが(笑)。

「好きなものが似ている」「同じだね」も、もちろん楽しい。でも、「似ているね」「同じだね」でわかった気になって、満足してしまうこともしばしば。そうではなくて、同じでも、似ていても、どこが違っているのか…その違いも楽しみたいなあ、と。

最近、そんなことを考えていました。

どんな毎日をお過ごしですか?
どんなことを考えていますか?




おまけ
このフリーペーパーの内容に関連して、
2019年の年賀状ではこんなことを書きました。
(クリックすると、拡大できます)


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フリーペーパー『えんを描く』って?

日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんでこんなことが起こるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことはできないけれど、「近所の人に挨拶する」「最近、連絡をとっていない友だちにメールを送ってみる」など日常のささやかなことからつながっていくものがあるのではないかと思いました。近所の人に挨拶していたら、おじさんが「あんたが挨拶してくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をおすそわけしてくれたり、おばさんから「家の電球を換えるの、手伝ってくれへん?」と頼まれたり。一人ひとりが目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、10歳の娘と一緒につくっています。

19通目



こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

私はこの頃、自分のささやかな変化を感じています。それは、心がもやもやしたりざわざわしたりしても、木や緑を少し見れば、心の中に「これまで見た緑のある穏やかな風景」がぱああっと広がって、落ち着くこと。見た目もそうですが(苦笑)、心の中もまあ~るくなってきたのではないかと思っています。

そんな変化の背景には、ゆるやかにお手紙を書く時間を楽しむ会『おてがみぃと』があります。開催するようになって1年半が経ちました。お手紙を書く前に「季節のあいさつ文を見つけよう!」と公園で散歩しています。

「1時間じっくり、景色を眺めること」を続けていると、「同じ木でも、色が違うものがあっておもしろい」「色づいている葉ばかりに注目していたけれど、緑のままの葉も濃厚で渋い」など、さまざまな発見があります。日常の中でも、「あの花は?」「あの木は?」と興味を持つことが増え、調べるうち、ゆるやかに「知っていること」も増えています。

そのおかげか、毎年同じ景色を見ているはずなのに、今年は花が咲く前から「もうすぐ咲くなあ」と気づいたり、「ここは桜の名所だけど、緑の季節もきれいだね」と何気なく思ったり、「月日を重ねるごとに緑は深まっていくんだ」と感じたり。日常の中で、うきうき、わくわく、ほんのり幸せな気持ちになることが多くなりました。

お手紙を書く時も…相手の目の前にも一瞬、そんな風景が広がったら素敵だなあ。もし相手が落ち込んでいる時にこのお手紙を受け取ったなら、まわりに目を向けるきっかけになればいいなあ…なんて、願うようにも。

この1年を振り返って感じた、自分の変化です。
あなたはどんな自分の変化を感じますか?




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フリーペーパー『えんを描く』って?
日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんで、こんなことが起こるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことはできないけれど、たとえば「近所の人にあいさつをする」「エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする」「最近、連絡をとっていないともだちにメールしてみる」など日常のささやかなことからつながっていくものがあるのではないかと思いました。

近所の人にあいさつを続けていたら、おじいさんから「あんたがあいさつをしてくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をおすそわけしてもらったり、おばあさんから「家の電灯をかえられへんから手伝ってくれへん?」と頼まれたり。私もそう、おなかに娘がいる時に道でばったり出会った知らないおばちゃんから声をかけられて励まされたことがありました。

一人ひとりが目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、小学4年生の娘とつくっています。


18通目


こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

わたしも、娘も、元気にしています。

『えんを描く』をつくり始めて、昨年で5年が経ちました。お声かけいただいて、フリーペーパーづくりについてお話したり、ワークショップを開催したりする機会も。そんななかで、「どうして、フリーペーパーに魅かれるんだろう?」「つくり続けるんだろう?」と改めて考えてみて思ったのは、“わたし視点”がおもしろい!…です。フリーペーパーをつくり始めたきっかけも、市販されている雑誌にはない“わたし視点”がおもしろい1冊のフリーペーパーと出会ったから。

“マニアックで、おもしろい視点を持っている特別な人が発信”ではなくて、誰もが、誰かにとって、おもしろい視点を持っていると思うんです。

だって、人それぞれ違うから。同じ人なんていないから。

“今”という瞬間でつながりながらも、人それぞれ、特性や感性があり、さまざまな時間や環境、状況のなかで生きていて、いろんなことを感じ思い考えています。だからこそ、同じ風景を見ても、同じ状況に遭遇しても、どう捉えるかは異なってきます。自分には思いつかなかったことが、ある人には思いつく。ある人には思いつかなかったことが、自分には思いつく。それって、おもしろいなあと思いました。

たとえば、私はお好み焼きが嫌い…でした。お好み焼き嫌いの人のなかには「粉もんが苦手」「食感が…」「もんじゃのほうが好き!」などあると思います。わたしの場合は、小学生の頃に母親から「お好み焼きを食べないと、中学生になったら友だちができないよ!」と無理やりたくさん食べさせられて、おなかをこわした思い出がよみがえるんです。だから、しょんぼりした気持ちになります。「お好み焼きが嫌い」という一つをとっても、人それぞれ、さまざま。掘り下げてみると、「そんなこと考えもしなかったわ!」なことが、続々と。

“わたし視点”というのは、今の自分が感じたり思ったり考えたりしていること、です。だから、そのまんまでいいんですが…

なかには「そう思わされている」「そう思い込んでいる」こともあると思います。「世間でこう言われている」「まわりの人たちもそう言っている」「常識的に」など。それらを自分のなかに取り入れるうち、いつのまにか「“世間”や“まわりの人たち”が言っていること=自分がそう思っていること」と錯覚してしまうこともあるような気がするんです。それがしっくりきていたらいいのですが、わたしの場合、たまに「ちょっと、しんどいなあ」「なんか、ココロにひっかかるな」と思う時があります。その時、「何がしんどいのかな?」「どうして、ココロにひっかかるのかな?」と考えてみると、“「実は…」なわたし”が見えてくることがあるんです。

そんな自分の気持ちに気づくと、最初は「こんなことを思ってもいいのかな」とドキドキしちゃうこともありますが…“わたし視点”を取り戻すと、物事や世界の捉え方も変わってくるような。自分事として捉え直すことができるような。何より、ココロがすこやかになります。

それに、ほかの人にもやさしくなれる気がしています。こんな自分がいる。あんな人も、そんな人もいる。「あの人はどうだろう?」「どうして、そう思うのだろう?」と興味を持って、出会いつながり交流できるのでは、と。

そんなことを考えていました、最近。
あなたはどんなことを考えていますか?




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フリーペーパー『えんを描く』って?
日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんで、こんなことが起こるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことはできないけれど、たとえば「近所の人にあいさつをする」「エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする」「最近、連絡をとっていないともだちにメールしてみる」など日常のささやかなことからつながっていくものがあるのではないかと思いました。

近所の人にあいさつを続けていたら、おじいさんから「あんたがあいさつをしてくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をおすそわけしてもらったり、おばあさんから「家の電灯をかえられへんから手伝ってくれへん?」と頼まれたり。私もそう、おなかに娘がいる時に道でばったり出会った知らないおばちゃんから声をかけられて励まされたことがありました。

一人ひとりが目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、小学4年生の娘とつくっています。


特別版『おてがみやさん』


~ わたしとおてがみ ~


おおはらなっつさんとはつねちゃん(2歳)と一緒に、お手紙のいろイロを楽しむユニット『おてがみやさん』を結成。今回はおふたりにご協力いただいて、「わたしとおてがみ」というテーマで書き綴ります。

ーーー

おおはらなっつさんの場合

はつねちゃん

おてがみ好きになったきっかけ、それは小学生時代の引越・転校かもしれません。残念ながら途切れてしまいましたが、小学3年生から大学卒業の頃まで手紙のやり取りを続けた友達がいました。その友達に出すために、たくさんのレターセットやシールを集めていたなぁ。いまだに名残で子どもっぽいコレクションが手元にあったりします。名古屋のちえちゃん、今どうしてるだろう。


20代の頃、しばらく単身、石垣島で生活していました。まだ写真も送れないガラケーを使っていたと思います(年齢がバレますね)。実家や親しい友達に近況を知らせるべく、コンビニのカラーコピー機に写真を並べ、余白に現地レポートやメッセージを添えてお便りしていたことも。沖縄の切手も集めていました。紅型のシーサーが描かれたふるさと切手「沖縄の織と染」は今もお気に入り第一位。


何人かお手紙交換していた友達がいます。お互いに忙しくなって、今はメールやSNSでのやりとりになったり、年賀状だけだったり。でも、郵便受けに届いた宛名やわくわくしながら開いた手紙の文字が、今もはっきりとまぶたに浮かび、やさしい時間の思い出です。


旅先からなら・・・連絡をとるきっかけがなかったご無沙汰してしまっている友達にも、何から書いたら良いかな~なんて思わず、「今、〇〇に来ています!」と気軽にお便りできる気がします。そして、普段おてがみを書く機会のない身近過ぎる友達や家族にでも、ちょっと特別な気分でお便りしても良いなと思うのです。だから、私の旅のお供には便せん・封筒・葉書・切手・住所録が欠かせません。


2歳の娘にもおてがみを出す楽しさを知ってほしくて、お友達やじぃじばぁばへ、旅先から葉書を出し始めました。まだまだぐちゃぐちゃの落書きだけですが、郵便ポストに入れることが楽しいようです・・・

ーーー

小森利絵の場合

ちえ

レターセットや絵葉書、季節の切手を見つけるたび、「誰に書こうかな?」「あの人は元気にしているかな?」などアレコレ想像してはトキメク・・・自称・お手紙オトメです。

文通デビューは小学1年生の時。転校をきっかけに幼なじみとお手紙をやりとりするようになりました。その後、学校内で友だちとお手紙交換したり、お世話になった先生が転勤すると聞けば住所を聞いてお手紙アタックしたり。

中学生になると、雑誌で文通相手探しを。行ったことのない町の、会ったことのない人・・・「どんな人だろう?」とドキドキわくわくしながら、お手紙を書きました。郵便受けを見るのが楽しみになり、しばらくお手紙が来ないと「元気かな?」「何かあったのかな?」と、ほんのり心配になることも。

当時の私にとって世界は「家と学校だけ」でした。その中で私は、他人から嫌われないこと・認められることに必死で、息苦しかった。でも、お手紙を通して、年齢も、人生も、価値観も、今の状況も、まったく異なる、さまざまな人とやりとりをして、「こんな人も、あんな人もいる。こんなことやあんなことも思う。いろいろなんだー」と思えたことで、少しずつ世界が広がっていきました。

「この広い空の下。今いるココがすべてではないんだー」という心強さや可能性を感じて、ココロがラクになったように思います。

最近は知っている人とのやりとりがほとんどです。お手紙を書くたび、「元気にしているかなあ?」と相手に思いを馳せ、その人との出会いやこれまでのことを思い出します。そして、こうして出会い・つながっていることに感謝して、「また会いたいなあ」という気持ちが膨らんで、幸せな気持ちになるんです。

【おてみが一口メモ】
幼なじみとの文通は、現在も継続中! もう26年ほどになります。

インターネット上で知り合って、それから文通がスタート。
10年ものやりとりを経て、実際にお会いした人もいます。

過去のお手紙を読み返すと、また新たなメッセージが響いてくることがあります。
それだけ、私も人生経験を重ねたということなのかなと思ったりします。

娘とお手紙を書き合いっこ。
部屋の片づけをしていて、以前に書き合ったお手紙を見つけることがあります。
当時を思い出しながら読み返す時間もまた、いとおしい。

以前、こんなことを書きました。
「また、ここから、はじまる・はじめる」きっかけに、お手紙を。

<『えんを描く』16通目>

ーーー

フリーペーパー『えんを描く』とは?

日々、さまざまなニュースを見ながら、辛くなったり苦しくなったり。なんで、こんなことが起こるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことは自分にはできないけれど、たとえば「近所の人にあいさつをする」「小学生と話をして顔見知りになる」、そんな日常のささやかなことでもつながっていくのではないかなと思いました。

近所の人に挨拶を続けていたら、ひとり暮らしのおじいさんから「あんたが笑顔で挨拶してくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をもらったり、おばあさんから「家の電灯を一人では交換できへんから手伝ってくれへん?」と頼まれたりしたことも。私もそう、おなかに娘がいる時に、道でばったり会った知らないおばちゃんから声をかけられて励まされたし、救われたこともありました。

一人ひとりが、目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、小学3年生の娘と一緒につくっています。

小森利絵+ちえ(小学3年生)
loopdraw@yahoo.co.jp

17通目


こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

先日、器と生活雑貨のお店へ行きました。そこで一枚のお皿と出会い、「娘が好きな水色と白のボーダーの、このお皿に、娘が好きなもやしたっぷり野菜炒めを盛りつけたら」と想像・・・娘の喜ぶ顔が思い浮かんだんです。

その瞬間、つながりました。料理家の方から聞いたお話と。その方は、家族という最小の単位から幸せになること、その先にみんなの幸せがあることを願って、おうちごはんの大切さを伝えています。

私も暮らしを見つめ直したいなあと思ったんです。

正直、料理が苦手です。好きでもありません。料理のレパートリーが少ないため、娘には申し訳ないことに似た食事が並びます。家の中も気づけば、ぐちゃぐちゃになってしまっています。仕事に熱中してしまい、娘が話しかけてきても目を見ずに聞いてしまうことが多くなっていました。「このままだといけない。嫌だなあ」と思いながらも、そのまま流されるように日々を過ごしていました。

その器と、そのお話をきっかけに、「今からでも大丈夫。ちゃんとごはんをつくろう。暮らしを見つめ直そう。娘とちゃんと向き合おう」と、自然とそんな気持ちになれたんです。そういった目の前のこと一つひとつに心を尽くしていくことで、それが日常になればいいなあと思います。

また、ここから。

最近、どんな出会いがありましたか?
どんなことを感じ思い考えましたか?


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娘が生まれてから、神社へ行くと、みんなの幸せを願うようになりました。娘のまわりにいる人たちやこれから出会う人たちが幸せでなければ、娘も幸せになれないと思ったのがきっかけです。



時々、娘がお手紙をくれます。「まいにちけんかをするけど、おこってごめんね」「しごとをがんばっているからマッサージしてあげるね」など。そのお手紙を読むと、私も同じように娘を思っていること…とはいえ、「最近は娘とちゃんと向き合えていなかっかたかも」「素直になれていなかったかも」と思い至ります。たちどまるきっかけをくれました。



毎日、いろいろなことがあります。つらくなることもあります。テレビニュースなどを見ながら、私も、いつ、どの立場になるのか、わからないと、それぞれの立場を想像してみます。だからこそ、一日一日、目の前のことを、ご縁のある人たちのことを、そのまわりに見える人たちのことを、大切にしていけたらいいなあと改めて。


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心のなかで抱きしめながら、会話する
NHK『助けて!きわめびと』で、学習塾・塾長の坪田信貴さん(『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應義塾大学に現役合格した話』の著者)が、「わが子の受験勉強のやる気スイッチが見つからない」という母親の悩みを解決すべく、取り組むなかで出てきたメッセージです。

「娘が全然勉強しない!」ということで悩んでいた母親ですが、実は子どものやる気を抑え込んでいたのは母親自身。「あんなことができない」「こんなんだからだめだ」と。ストレートではなくても、言葉の端々にその思いが表れていて、娘のやる気をそいでしまっていたのです。

そこで、坪田さんは母親に“子どものいいところを20個、書き出す”という課題を出します。書き出すなかで、「できない、できない!」と思っていたけれど、「こんなことができるではないか!」と発見。“できない”ではなく、“できる”に目を向けるようになります。

書き出して終わりではなくて、娘のいいところを暗記できるまで読み込んで、自分のなかに定着させていきます。それによって「ああ、この子はいい子だ」「こんないいところがあるんだ」と無意識でも思えるようになり、冒頭の“心のなかで抱きしめながら、会話する”ことができるようになったのです。そういうふうに会話できたらいいですよね。


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フリーペーパー『えんを描く』って?
小学生の娘と一緒につくっています。毎日のなかで、思ったり感じたり、こうしてみようと思ったことを、シェアして。ともに、何かを始めることができたらいいなあと思ったりします。近所の人に挨拶をする。近所の小学生に話かけてみる。エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする。最近、連絡をとっていない友だちにメールを送ってみる・・・など。ささやかだけれど、大事なこと。小さな一歩からはじめられたらいいなあと思います。そんな“わ”が広がっていくことが感じられるように、書き綴っていきたいです。



0通目


ともだちにお手紙を書くような
フリーペーパー『えんを描く』とは…



毎日のなかで感じたり思ったり考えたりしていることを、ともだちに手紙を書くように書き綴っています。小学2年生の娘と一緒につくっています。


<発行スタイル お手紙>
「私は、今、こんなことを思っています」「あなたはどうですか?」と、「私」と「あなた」との間でやりとりされる「お手紙」であることを大切にしています。自分の思っていることを押し付けない・・・あくまで、「私が」思っているだけのこと。ほかにもさまざまなことを感じたり思ったり考えたりする人はいるし、それぞれを大切にしたいという思いからです。

<はじめた日 2010年秋>
当時、娘は3歳でした。娘の絵を掲載するようになったのは、5通目・娘が5歳の時です。最初から「娘と一緒に」と思ってつくりはじめたわけではありません。ある時、ふと、娘の絵を掲載したら、楽しい雰囲気になるなあと思ったことがきっかけです。改めて考えてみると、今の私が感じたり思ったり考えたりすることは、娘がいるからこそ。だから、「最初から一緒につくっていたんだ」と思い至りました。

<発行ペース お手紙を書きたくなった時>
「書きたい!」と思った時に書きます。以前つくっていたフリーペーパーの経験から、発行時期や部数を決めると、そちらに縛られるようになってしまい、続けることが難しくなってしまうからです。実は『えんを描く』も、1年間ブランクがあいたことがあります。それは転職で仕事が多忙になったためですが、ゆるやかな発行スタイルにしていたため、再びはじめることができました。毎月発行した時期もあるなど、さまざまです。

<部数 その時々>
<体裁 その時々>
「お手紙」だから、カタチもさまざまです。そもそも、フリーペーパーなので、「雑誌のように体裁を固定しなくて自由でいいんだ!」という気持ちがあります。印刷はレトロ印刷JAMを利用することもありますが、切り貼りして作成した原本を5円コピー。A4・A5サイズの場合は2面(柄ちがいも)貼り付けで、カッターでカット。折り作業も、地道にやっています。

<配布先 私が「好き!」「気になる!」カフェや雑貨店、拠点など>
フリーペーパーを持って、巡るのが好きです。人見知りですから、なかなかコミュニケーションを深めることはできていませんが、1通ずつ持っていくごとに、ちょっぴり深まっていくものがあります。配布に行ける関西だけに限らず、四国や九州、富山、東京など、インターネットでつながったところには定期郵送しています。



『えんを描く』をつくるきっかけ


フリーペーパー名にもなった
『えんを描く』日常があったから
ライターの仕事をしていると、さまざまな人と出会い、話を聞く機会があります。娘が生まれてからは、日常のなかでもさまざまな出会いがあります。それぞれ、一つひとつの点として、私の中でばらばらに点在していたものが、つながる瞬間=えんを描くことがあって、それを共有したいと思いました。

フリーペーパーを読むのも
つくるのも好き!!
大学時代、その後1年間限定のフリーター時代にかけて『れもんのき』というフリーペーパーをつくっていました。その時、フリーペーパーをつくることと、配布を通してのさまざまな出会いにおもしろさを感じたことが、今につながっています。

→そもそも、フリーペーパーをつくるきっかけは?
北堀江にあった雑貨店&カフェ『クルール』(現在は中崎町)で、『青色吐息』『FP』というフリーペーパーを、店主さんからすすめられて手にしたことです。同い年の子がつくっていて、「こんなふうに、自分の感じたり思ったり考えたりしていることを伝えているんだ。こんなふうに置いて、手にしてもらえ、交流がうまれるんだ」ということに刺激を受けました。そのほかにも、個人発行のフリーペーパーがたくさんあって、白黒コピーして折っただけの紙のなかに広がる世界に、市販されている雑誌にはない魅力を感じ、自分でも発行してみたいと思ったんです。



つくりながら、想っていること


ささやかな積み重ねを
毎日のなかで一緒に
日々、さまざまなニュースを見ながら、辛くなったり苦しくなったり。なんで、こんなことが起こるんだろうと思います。この現実を変えるほどのことは自分にはできないけれど、たとえば「近所のおじちゃんに声をかける」「小学生と話をして顔見知りになる」、そんな日常のささやかなことでもつながっていくのではないかと思っています。近所でひとり暮らししているおじいさんに会うたびに挨拶していたら、「あんたが笑顔で挨拶してくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をもらったことがありました。私もそう、おなかに娘がいる時に、道でばったり会った知らないおばちゃんから声かけられて励まされたし、救われたこともあります。一人ひとりが、目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるだろうと思ったりしています。

さまざまな人が生きていて
さまざまな日常があることを想像
生きていると、いいこと、楽しいことばっかりじゃありません。悲しいことも辛いこともあります。一人ひとり、それぞれの日常があって。誰かにとっては楽しい日も、誰かにとっては悲しい日かもしれない。さまざまな人がいるということを想像することを思い出したいと思っています。だからこそ、自分も、一人ひとりも大切である、と。

不安もあるけれど
続けながら考える
フリーペーパーをつくる苦労はないですが、常に「これでいいのか」「ひとりよがりになっていないか」「きれいごとじゃないか」など不安はあります。最終的には「フリーペーパーづくりが好き!」という気持ちが残ります。続けながら考えて、変わったり、変わらないでいたりしたいと思い直すんです。



これからのこと

◎おばあちゃんになっても、続けていきたい!!
◎フリーペーパーから発展させて、
 「お手紙×コミュニケーション」をテーマに、いろんなことを考えていきたい。



8歳の娘より






つながる ぽけっと


郵送&手渡しする際に、つながるぽけっとを同封しています。フリーペーパーを置いていただいているお店のショップカードや、私が好きなフリーペーパーなど、号ごとにさまざまな内容に♪


『れもんのき』時代を含めると、フリーペーパーをつくりはじめて10年。いつもお店に置いていただくだけなので、申し訳なく・・・SNS等で紹介させていただくものの、ショップカードなど、こちらもお預かりできたらいいなあと。また、フリーペーパーを配布しながら、とっても素敵なフリーペーパーと巡り合うので、共有できたらいいなあと思いました。


16通目


こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

先日、『心を届ける手紙のセミナー』に参加しました。そこで、亡くなった人のお手紙が、今を生きる家族のココロを支え、“生きる力”を与え続けている・・・そんな話が心に残ったんです。

私はお手紙を書くのが好きだから、友だちや文通友だちに書くことはありますが、そういえば…家族に対してはどうだろう?と。小学生の娘に書くことはあっても、父には書いていないなあと、ふと思いました。

日頃、おしゃべりしたり、ケンカしたりして、気持ちや思いを伝え合っているつもりでいても、ココロに秘めたままのものがあったり、言葉にするのをためらっているものがあったりします。なかには、自分でも気づけていない気持ちや思いもあるでしょう。

お手紙って、日頃は言葉として出てこない気持ちや思いに気づいて、認めて、改めて伝えるきっかけをくれるような気がします。というのも、お手紙を書くことを通して、相手に思いを馳せて向き合うとともに、自分自身とも向き合うことになるからです。

「ありがとう」「うれしい」「つらい」「かなしい」「ごめんなさい」「本当は」など、どんな気持ちや思いであれ、それに気づいて、認めて、伝えようとしてみる・・・ただ、自分が思いついたままに、言いたいように伝えるのではなく、そこに相手に思いを馳せる、ココロに寄り添おうとする気持ちをプラスすれば、そこから、さらなるコミュニケーションがはじまるんだと思います。

お手紙を、いま、ここからの、“はじまり”のきっかけに。
今年の父のお誕生日には、お手紙を書きたいと思います。


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“父さんは、手紙を書くのが、にがてです。さようなら”。小学5年生の時に、父からもらったハガキにあった一文です。学校行事で5日間ほど家を離れました。「長期間、家を離れて、さみしがるだろう子どもに向けて、手紙を・・・」と、小学校の先生が親にハガキを配布。その時、届いたハガキです。一所懸命、書いてくれたんだなあと、時折り思い出しては、そのハガキをなつかしく眺めます。




紙袋などを封筒として再利用する時は、娘が描いた絵やマスキングテープで飾り付けます。近所の行きつけの郵便局へ持って行くと、その封筒を見てほほえんでくださり、定型外の郵便物の場合、局員さんが切手を選んで貼り付けてくださるのです。こうして、1つのお手紙が出来上がり!届け先でも、「配達員の方が『かわいい郵便物が届きましたよー』と言って手渡してくれましたよ」と相手から聞くことがあり、ほっこり。幾人もの人(局員さん)の手を経て、相手に届く感じが、なんとも好きなのです。



誰かが、誰かのことを思っていて。
それが、つながって。
誰もが、誰かに思われていたらいいなあと。
そんなことを願いました。

オリジナルでハガキや絵封筒をつくる時に添えているメッセージです。「あの人、お元気かな?」と、ふと思いを馳せて。「お元気ですか?」と問いかけてみる・・・そういうことを大切にしたいなあと思います。


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フリーペーパー『えんを描く』って?
小学生の娘と一緒につくっています。毎日のなかで、思ったり感じたり、こうしてみようと思ったことを、シェアして。ともに、何かを始めることができたらいいなあと思ったりします。近所の人に挨拶をする。近所の小学生に話かけてみる。エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする。最近、連絡をとっていない友だちにメールを送ってみる・・・など。ささやかだけれど、大事なこと。小さな一歩からはじめられたらいいなあと思います。そんな“わ”が広がっていくことが感じられるように、書き綴っていきたいです。


15通目


こんにちは!
お元気ですか?どんな毎日をお過ごしですか?

私も、娘も、元気にしています。

最近、娘がお友だちへのお手紙に「おとなになったら、ゆにばーさるすたじおじやぱんにいこうね」「おとなになったら、いっしょにくらそうね」なんてことを書いています。先日はお友だちと一緒に、“おとなになったら一緒に暮らす家の間取り図”を描いておりました。

子どもの頃。どんな夢をお持ちでしたか?
大人になったら、どんなことをしたいと思っていましたか?

私は小説家になるのが夢でした。環境汚染や戦争などについて、「このままじゃ、だめだとわかっているのに、どうして、なくならないんだろう?」という思いや未来への危機感をフィクションで表現することで、この現実を変えていけないだろうか・・・そんなことを考えて、物語を書き綴っていました。

小学4年生の時に母を亡くしてから・・・中学生の頃は、家族・親戚と病院側にわだかまりができてしまい、その話を聞いていたので、「母のような人、その家族を救うことができたら」と医師や看護師など医療系をめざしていた時期もあります。

高校生になって、「どうして、生きているのか」「自分は一体何なのか」など考えるようになり・・・中学時代の恩師にすすめられて、自分の気持ちと向き合うために、文章を書くようになりました。感じたり、思ったり、考えたりしたことを、吐き出すように書き出して。それを恩師に読んでもらい、「ほんまに、こんなこと思ってるん?」「綺麗事じゃない?」とつっこまれては書き直す・・・を繰り返すうち、“自分が嫌だなあ、醜いなあと思っていた気持ち(=みんなに好かれようと自分に嘘をつく、結局は自分のことばかり考えている・・・など)”も「それも、それで、いいじゃないか~」と認め、「これからだ!」と思えるように。自分のことが好きになれ、大切に思えました。だからこそ、他人のことも大切にしたいと思えた気がします。

“書いて表現、そこからのコミュニケーション”によって、自分、そして人間関係を再構築することができ、それが生きるチカラになりました。この“書いて表現、そこからのコミュニケーション”を、今度は誰かのために役立てることができたらいいなあと思ったんです。その思いが、今のライターの仕事や取り組んでいることにつながっています。

「子どもの頃、どんなことを思っていたっけ?」と振り返ってみると、“今”へつながる軸みたいなものが見えてきます。変わったんだけれど、変わらない・・・そんなものを見つけて、「よっし!また、ここから、頑張るぞー!」と勇気が出てくるんですよね。

あなたはどうですか?


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わた(し)のゆめはけーきやさん
くりいむがたくさんのつてて
いちごもたくさんのつてて
けーきはあまくておいしいです。

ちえ

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誰かと対話しながら、夢地図づくり。
その対話が、実現するチカラへ

「夢ややりたいことは、思うだけではなくて、言葉にするといい!」と、よく聞きます。言葉にする際も、自分ひとりでやるよりは、誰かと一緒にすると、さらに実現するチカラが高まるような気がしています。

というのも、以前、こんな夢地図セミナーに参加したことがあるからです。

セミナースタッフの方に、夢や目標などについての質問を投げかけてもらい、目を閉じて回答。“考えて答える”ではなく、自分のなかにすでにある思いを言葉にしてアウトプットします。その言葉を聞いて「ああ、自分はこんなことを思っているんだな」と噛みしめながらインプット。そうやって自分の思いを再確認しました。そのうえで、夢地図をつくります。

夢地図が出来上がったら、参加者同士で、夢地図を紹介し合うことで、アウトプット&インプット。

このアウトプット&インプットが絶妙なバランスでできるからこそ、実現するチカラになるのだと思いました。

※夢地図・・・雑誌等から、夢や目標のイメージに合うものや気になるものを切り抜いて、1枚の紙に飾り、夢やビジョンをビジュアル化するもの。


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“夢や目標”、実現するための“手段”
時折り、再確認。そこから、また

「やりたいことは何ですか?」と聞かれて、「書くことを・・・」と答えてしまう、私。確かに、“書く”ことは好きですが、何でも書ければいいというわけではなくて。あくまで“書く”ことは、夢や目標などを実現するための“手段”なんだよなあと思います。

じゃあ、なんで“書く”のか。「誰かの役に立つことができたらいいなあ」という思いのもとにある「こんな未来につながったらいいなあ」という願い・・・それを実現するための小さなチカラになりたいから。

その“手段”として、“書く”ことを選びました。“夢や目標”と、それを実現するための“手段”。どちらも大事です。

でも、いつのまにか、“手段”だけに捉われてしまっていることがあります。だから、時折り、「どうして、それをやっているの?」と自分に問いかけてみることで、「ああ、こんな夢や目標、願いがあったんだなあ」と再確認できます。

そこから、また。突き進む・始める、基点になりますね。


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出会いや経験などによって
夢や目標も、しなやかに成長させて

ひそかに楽しみにしていたテレビドラマ『ファーストクラス』。ファッションブランド業界で新人デザイナーとして奮闘する主人公・吉成ちなみ(沢尻エリカ)の成長ストーリーです。リアルタイムでは観ていませんでしたが、視聴者が書いたあらすじブログを読んでいました。そこから読み取って感じたことを書きます。

最終回、ちなみは「日本で1年間に20億着もの洋服が捨てられている」という事実を知ります。自分が大好きなファッション・・・デザイナーとして洋服をつくることを仕事にもしています。でも、一方では、その洋服が大量に捨てられ、環境問題を引き起こす要因にもなっているという現実。そこで、ちなみは、「古着を活かした洋服をつくろう!」「海外のファッション業界では、すでに、古着は大きな環境問題として注目されている。しかし、それの打開策は見出されていないから、提案したらいいんじゃないか」とひらめいて、実行しました。この経験を通して、「たくさんの人を洋服で幸せにするために、命がけで仕事する!」と決心します。

ちなみのように、見て聞いて知って、感じて思って考えて、経験して・・・を重ねるなかで、夢や目標、手段も、しなやかに成長させていけたらいいですよね!


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3人の方に、夢のお話をご寄稿いただきました。

酒井道子さん

和田寿江さん

山田祥子さん


15通目/みんなの夢~山田祥子さん~


山田祥子さん
<ご本人によるprofile>
1988年生まれ、大阪府出身。

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私の夢の1番古い記憶は小学校低学年頃で、なぜかお医者さんでした。その後、習っていた水泳にどんどんのめり込み、小学校高学年頃には水泳選手になりたい、だなんて突拍子もないことを思っていました。

そのあとは、あまり明確な夢はなくて、むしろできるだけ選択肢の多い人生が良い、だなんて妙に現実的な考えが根っこにありました。でも、高校生、17才とか18才くらいで「美容師になりたい」や「教師になりたい」とハッキリ言える友人たちが本当にすごいと思っていました。

それは案外、10年くらい経った今でもあんまり変わっていなくて、就活をした時もできるだけ選択肢の多いように!なーんて思っていました。そして夢や目標が明確にある人のことを羨んでいる自分がいて。会社に入ってからも、この先やりたいことは?と3ヶ月おきに聞かれ、夢や目標がないって、恥ずかしいと思っていましたし、今でもそう思ってしまうこともあります。

でも、最近ちょっと違う考えを持つようになって、私には確かにこんな仕事がしたいというような明確な目標はないけれど、例えば「結婚や出産をしても働き続けていたい」とか「毎日できるだけ笑顔でいたい」とか「私と話していたら落ち着く、と言ってもらえるようになりたい」みたいな「小さな理想の自分」はたくさんあって、そんなものの積み重ねが先の自分につながっていく、というような夢の持ち方もアリなんじゃないかと。


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14通目~こもりちえ~



きようあたこと
おにごこをしたのがたのしかった
ちえ

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小学1年生の娘が描きました。
小学1年生になったばかりの頃に。
もうすぐ、2年生になります。



15通目/みんなの夢~和田寿江さん~


和田寿江さん
<ご本人によるprofile>
神戸三ノ宮ストレートネック矯正サロンの受付。栄養療法、講師業を兼任。女性のための妊娠しやすいカラダづくり。食生活や生活習慣。食を選ぶチカラをつけるための知識とレシピを広げるフードコーディネーター。

◎ブログ/食を選ぶチカラをつけよう。フードコーディネーターの楽しい健康講座
◎ホームページ(Facebookページレシピ集):誰でも料理が好きになるコツ

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こどものころの夢は、バスガイドさんになりたい、という夢でした。
乗り物酔いすることに気づいたわたし笑

現在は健康とその先の夢に向けて背中を押す、
その補佐的お手伝いとカードリーディングで人を導きある意味でガイドしてます♫

あと毎日のように何時間も遊んでた泥んこオムライスづくり、
今では得意料理、そしてプロになりましたね(*^^*)

今現在の夢は、家族仲良く健康に明るく豊かに暮らすこと。
それだけですね♫


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15通目/みんなの夢~酒井道子さん~


酒井道子さん
<ご本人によるprofile>
1967年9月27日、宮城県仙台市生まれ。結婚して福島県浪江町請戸に嫁ぐ。東日本大震災により福島市に在住。一男一女の母。2006年7月ビーズインストラクターの資格を取得。

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確か私は小学生の卒業文集に夢と?聞かれて保母さんになりたいと書いた覚えがある。

進路を決める頃には栄養士。専門学校に行く準備も進めていたが、入学直前で家の事情で取り止めてしまった記憶がある。



その時から30年の歳月が流れ、私には大人になってからの夢があった事を思い出した。



私は田舎町に嫁ぎ、主人は会社勤めでしたが、舅姑が自営業をしていたので、私は子育てをしながらの専業主婦の立場でした。

田舎は、隣組や地域の付き合いが優先になりがちだったけど、私はそれほどおっくうではなく性に合っていたと思う。

舅姑にも良くしていただき、自分のやりたい趣味事も理解してくれた。

きっと仙台から嫁いだ私に早く馴染んで知り合いの人をたくさんつくってほしいとの配慮からだったのかと思う。



私は手先を使う仕事が好きで趣味もその手の物が多かった。

姑と毎日接していく中でも、その場所で生き抜いてきた生活の智惠を姑から吸収する事がその土地の人間に近づくようで嬉しかった。

白無垢を着ると言う事は嫁ぎ先に染まると言う事も日々の生活の中で身をもって肌で感じていた。



周りでは、漁業や会社に勤めている人が多かった中で~私は自分のおかれている立場にも感謝した。

その自分が趣味を楽しむのではなく、先に情報や知識を得ただけで、それをこれから余暇を向かえる人の為に役にたてたいと思った。

教えるのではなく。先に得た知識を伝えたり、共有する楽しみがほしかった。

でも、はっきり言って田舎での嫁はよそ者。

それが~仙台から~

酒井さんの所にお嫁さんがくる。

酒井道子さん

道子さん。

そしてみっちゃん。

そう呼ばれるようになるまで~なった時の会話を覚えているくらい~みっちゃん~と呼ばれた瞬間。この土地の人みたいだよねって。

ようやくこの土地に認められたと思った。20年かかった。

私の夢は~普段着の着物に白いかっぽうぎを着て~いつでも~

みっちゃんいたがい?

これしってっか?って

近所から重宝がられるおばあさんになりたかった。この縁があった土地で。



結婚生活~20年目の震災。本当にそれは夢で終わってしまった。

今の私の夢は~当たり前の生活。普通の生活。家族がバラバラで全員揃う事はない。誰かが必ず欠ける。

家族が揃う。それが、どんなに恵まれていて気がつかないだけで~幸せな事か。

当たり前。普通と言われる事が一番難しいのかも知れないと私は思う。

今は、家族が笑って元気にお互いを思いあえる余裕の気持ちを持って生きる事が夢。それは、一人一人が自己管理をして生きる事



夢は、遠いものではなくすぐ近くにある。
震災から学んだあらたな私の夢です。


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14通目~酒井道子さん~


★ご本人によるprofile
1967年9月27日、宮城県仙台市生まれ。結婚して福島県浪江町請戸に嫁ぐ。東日本大震災により福島市に在住。一男一女の母。2006年7月ビーズインストラクターの資格を取得。


娘が高校を卒業して思う事

中学3年の卒業式の午後、福島の浜通りで東日本大震災に遇いました。家族五人は無事でしたが、それは各々が魂をえぐられる経験だったと思います。

娘も津波・原発と避難が続き、全ての生活が一転した中、手探りの高校生活が始まりました。高校側からの温かい受け入れがあり、福島市での私と娘のアパート生活は、新体操部を含む学校への毎日の送迎が、私の震災後の優先日課となりました。朝も早く、帰りも遅く、土日も関係なく、とにかく日々「無事卒業させる事が学校への恩返しと娘への責任」と思い繰り返すだけでした。

卒業式当日、最後の日課が終わり、ホッとしたのも束の間で、いつも左後ろに座っていた娘の姿はもうないのだ~と解放感と同時に察しました。当たり前にあった姿は、思い出の中だけの姿になってしまいましたが、過ぎてしまえば、一番濃密な時間だったと思います。

娘は、東京で独り暮らしを始めました。今は大学で将来の夢を描く生活に夢中だと思います。通学電車に揺られる度に、甘えられる環境がすぐそばにあった事を思い出すのかな。なんて勝手に想像したり。

すぐそばにいた時より、離れてからの方が娘の存在を強く感じ、思い出されます。

14通目~わたし(小森利絵)~


★本人によるprofile
出会い、想って、願って。伝えて、つながって。紡いで、つないでいく…編集・ライター経験を活かしつつ、いろイロなことに取り組んでいきたいと思っています。小学1年生の娘と一緒にフリーペーパー『えんを描く』をつくっています。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~loopdraw/


いま、ここから

「いま、ここから」そう唱えるようになってから、少しずつですが、いろんなことに、しなやかになれた気がしています。

思い返せば、未婚で子どもを産み育てながらのこの6年ほど、ずっと走り続けてきたように思います。「頑張ろう!頑張らなきゃ!」と思うゆえに「こうしなければならない」「こうあるべきだ」となったり、未来を見つめるゆえに「こうしないのはおかしい!」「こう思うのが当然だ」となったり…自分にはもちろん、誰かにもそうあることを強要してきたように思います。

でも、「昔はどうだったんだろう」「ほかの国はどうだろう」「動物や植物はどうだろう」と考えてみると、「こうしなければならない」「こうすることが正しい」という絶対的なものはないのでは?と思ったんです。

さまざまな関わりのなかで生きることを通して、自分で感じて思って考えて、その結果「大切にしたいなあ」と思ったことを育てていく…絶対的なものはないけれど、「これ、大切にしたいね」「それ、素敵だね」「こうなったらいいね」「こうしていきたいね」なんて誰かと共有して、編んでいくことができたらいいなあ、と。それは特別なことではなく、“今”という瞬間も、そういうふうにして導かれた瞬間なんです、きっと。

いま、ここから。“今”を、否定も、非難も、称賛もせずに、ただただ受け止めて、ここを出発点として、またスタートする…そんなイメージを持って、目の前の一つひとつと向き合っていきたいです。

14通目~広瀬 徹さん~


★ご本人によるprofile
定年前、尼崎高等学校で、小森さんの学年主任をして以来のお付き合いです。学生時代のフリーペーパーからの読者です。現在は自分の問題としての障害者運動、NPO活動、東北支援を続けています。


ちえちゃんのこと、孫のこと、東北のこと

わたしには、ちえちゃんとおない年の孫娘まながいます。4月の小学校への入学も同じで、いつも小森さんの書き込みと重ねています。

在学中、わたしは「今のきびしい状態は自分がつくったのではないのだから簡単には変わらない。変わるのは自分が子どもを持つころになって自分の力でものが変わっていきます」と言ってきました。

その子のそばにいることしかできない、その時にへこたれない力を付ける手伝いをすることが、私たち教師のすることでした。

小森さんは小学校4年のとき、お母さんが亡くなったと聞いています。それ以来、お母さんから髪をすいてもらうことが出来なかったのですが、いま、ちえちゃんの髪をいとおしくすいている母と子の姿を思い浮かべることが出来ます。

東北の大津波で、いまだに行方不明の母と妹を待つ4歳の女の子が「ままへ いきているといいね おげんきですか」と書きかけて眠ってしまっている写真を、読売新聞記者が半年後記事として載せました。もうこの子の髪をお母さんがすいてくれる日は来ないのですが、でも月日がたって、こんどはわが子に寄り添う姿があると信じます。

ちえちゃんやまなやこの女の子が、幸せに暮らす次の時代があるよう、心をあわせましょう。

14通目~midoringo**さん~


★ご本人によるprofile
小学校6年生からのニックネームです。短大卒業後、大阪船場で寝材テキスタイルデザイナーを。違和感から、インド・ネパール‥旅人に。帰国後、在阪テレビ局の小道具、フリップ・テロップ等DTPに携わる。結婚後、病院の中央材料室や銀行の渉外のパートを経て、介護職に。


わたくしの毎日

4~5歳の頃のエピソード。
掌に3匹乗せて‥裸はミミズさん。毛皮の毛虫さん。
和菓子みたいな緑の服は青虫さん。
‥びっくりさせる言動は今も変わりません。

当たり前のようなことがどうも理解できず‥
自分の世界を熱く語り、空気が読めず、
人との距離間に敏感で悩み続けています。

慣れるまでは勤めること、続けることが苦にならないで出来るのに、
環境が落ち着くと急に逃げだしてしまう。
漠然とした不安感が襲うのです。

とうとう家族もバラバラ、
単身で新しい街での生活を始めてしまいました。
自由を求めると、不自由になる人もいるのも十分理解しているつもり。

理想と現実は程遠く、こんなに苦しいとは‥
弱気になることも多々ありますが
大事な時間はほんの少しだけですが‥
自分のペースで、何でも出来るヨロコビはたまりません。

好きな本と音楽と食事で
『わたくし流』丁寧な生活を満喫しております。

14通目~tetteさん~


★ご本人によるprofile
地図を見るのが大好きで、週末にママチャリででかけては花鳥風月から食べかけのパンまで写真に収め喜んでいる熟年女子です。今は「進撃の巨人」とBBCの「シャーロック」にも囚われています。
http://blogs.yahoo.co.jp/setuko0012


もうひとつのしごと

53歳。どこから見ても日焼けしたフツーのおばさんは週末の天気が良いと知った途端ウキウキが止まらない。ママチャリで奔走し、手持ちのデジカメで小鳥や花や虫を気の向くまま何枚も何枚も撮るのだ。早朝から日暮れまで、1人で。家では何百枚ものボツ写真をデスクトップのゴミ箱に投げ入れ、マトモな写真をブログに載せ、写真サイトにも預かってもらう。コメントをいただくと更に幸せは増す。褒められて嬉しいのではなく、共感が嬉しいのだ。顔も名前も知らない人と写真で一時心が1つになる。幸せって瞬間なんだなぁと思う。

この写真で詩を書きました。
演奏の動画を作成しました。
そんな報告に今度はこちらが 見て、聴いて感動する。

幸せ電気がループする。この時代ならではの恩恵。
食べるための仕事以外に 人に与えられた仕事があるとしたら、
きっと私のは これ なんだな。 と ほくそ笑む。
笑顔が素敵な人、歌が上手な人、料理が好きな人、本に詳しい人、
冗談が言える人、憎めない人、気の弱い人、せっかちな人、
長生きしてるおじちゃん、物知りな子供、大声で笑うお母さん、
綺麗好きな友人。。。
誰もがきっと誰かの心に煌いた瞬間を作っている。
知らぬ間に与えられたもう1つのお仕事で。
さぁ、今週末もどうか晴れでありますように・・・!

(tetteさんが撮影したキビタキの写真)


14通目~いたたんさん~


★ご本人によるprofile
2014年3月で27年近く勤めた会社を定年退職しました。食べること大好き!本が大好き!おしゃべり大好き!人が大好き!フツーの大阪のオバチャンです。
http://www.hct.zaq.ne.jp/aozora/


ゴールとスタート

2014年3月で定年退職となって18歳からの「仕事をしている自分」から卒業しました。

でもこれってゴールじゃないんですよね。また再就職するかもしれないけれど、新しい私の始まりです。もしかしたらゴールラインとスタートラインは同じかもしれない。

ゴールは新しい世界へのスタートでもあるんですよね。一つの区切りではあるけれど、終わりじゃない。もしかしたら「死」というものも、ゴールではないのかもしれない。

私は誰かに「ここでのバトン」を渡して、新しい世界ヘスタートを切るのかもしれないなぁ。なんてこんな風に考えるのってやっぱり歳をとったからかなって気がします。

でもね、こんな風に思っていると、何でもない毎日が楽しいし、次のスタートのために、いろんなことをいっぱい楽しんで経験したいって思うんです。

誰かにバトンを手渡すその日まで、その日がいつ来てもいいように、目いっぱい、今を楽しみたい!