【24通目☆届け中】自分の中になかった発見&発想!

友だちにお手紙を書くようなフリーペーパー「えんを描く」24通目の折り方は、「リボン?いや、蝶ネクタイ?折り」です。娘が以前「扇子(=蛇腹)折りは?」と提案してくれたことがあったものの、手間や置き場所、読後の再現性などを考えていったん断念。それを数年越しに実現してみました。

この号だったからこそ、この折り方にしてよかった、この折り方だったのかも!と思えるメッセージを「アトリエSUYO」(一般社団法人惣)の伊藤さんからいただきました。


伊藤さんより:
蛇腹折!! とっても良いです。ベンガラ板締め絞り染は、蛇腹に折るのが基本です。蛇腹だと奥になる部分が無い状態になるので染料のベンガラの粒子がどこからでも入り易い様になります! このフリーペーパーも表裏無く、字も色んな方向から書いてるから、どこからでも読み易いですね!!


私の中にはなかった発見&発想で。伊藤さんのおかげで、フリーペーパーが布地にも見えてきたりして。そういう意味では、まさにリボンか蝶ネクタイだなあとしっくりきたのです。

「えんを描く」というお手紙が、誰かに届いて、そのお返事が届いて、自分の中でまた何かが広がっていく、深まっていく感じがあって。こうして何かしら受け止めようとしてくださること、そのメッセージを届けてくださることは、とてもありがたいことだなあと思いますし、こういう交流があるからこそ、書き綴り続けているのだなあとも思います。

「アトリエSUYO」は、染織作業、糸作り作業、音楽活動を3本柱にしている就労継続支援B型事業所で、写真はオリジナル商品としてつくっている小豆枕・小豆アイピロー、丸織ブローチ、ベンガラ染マスクです。私も愛用したり身につけたり、プレゼントに選んだりしています。
https://www.suyo.info/



中でも、小豆枕・小豆アイピローを紹介しますと・・・さをり織りとベンガラ染めの、あたたかくてやさしい雰囲気。あたためた時の、あの小豆のいい香り。機械による大量生産品ではなくて、一つひとつ手づくりしてくださっているんだという、特別感やぬくもりもあって。疲れているなあ、ここが痛いなあという時、首・肩やおなか、頭をあたためると、じんわりと内側からあたたかくなってきて、疲れや痛みが緩んでいくのを感じます。

伊藤さんには4年前の2018年に「関西ウーマン」で取材させていただいたことがあります。
◎楽しい「事」と「人」に出会って、気づいたら今がある
伊藤 寿佳子さん/「アトリエSUYO」主宰
https://www.kansai-woman.net/theme600.html

【24通目☆届け中】フリーペーパー専門店「はっち」

大阪・梅田のスカイビルの近くにある、フリーペーパー専門店「はっち」。「はっち京都・五条間借り店」「はっち兵庫・伊丹間借り店」「はっち兵庫・西宮間借り店」なども展開中です。
https://hatch2015.jimdo.com/

各地から届く200種類以上のフリーペーパーなど紙媒体の設置&配布のほか、YouTubeチャンネル「はっちチャンネルズ」など各種SNSで紹介、その年の最も支持されたフリーペーパーを決定する合同巡回展「フリーペーパー・オブ・ザ・イヤー」の開催など、さまざまな企画を行っていらっしゃいます。

「えんを描く」も、「はっちチャンネルズ」でご紹介いただきました。中学生の娘と一緒に観ようとしたら、「なんか照れるからやめとく!!」とのこと。私はばっちり観ました!!

「えんを描く」を紹介してもらった「はっちチャンネルズ」はこちら↓
https://youtu.be/qt_vyJhKAuQ

23通目



フリーペーパーをつくり始めて、10年。「10」のいろいろなことを書き綴ります。

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この23通目を書き綴り始めたのは、2020年10月31日(土)満月の夜です。

そういえば、まだおなかの中にいた娘が動き始めたのが、2007年7月29日(日)満月の夜。もう翌30日(月)になっていたと思います。出産予定日から1週間経っても出てくる気配のなかった娘が、確か雷の音にびっくりして動き始めたんです。その後、朝になってから病院に行くもなかなか出てこず。18:00になったら救急車で大きな病院へ……となっていた直前の17:58に生まれてきたのでした。

現在、目の前で、やらなあかんことがあるのに、スマホを見ながらゴロゴロする娘を見ていると(しかも、時間ギリギリになって慌て出すという)、「おなかの中にいた頃から、こんな子だった気がする」と妙に納得してしまうのです。

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2

1通目を書き綴ったのは、2010年10月のことでした。当時、私は28歳、娘は3歳。2020年の今、私は38歳、娘は13歳になりました。保育園児だった娘は、小学生時代を経て、今は中学1年生です。

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この頃、よく思い出すのは、幼い頃の娘が「抱っこ、抱っこして」と言っていた姿です。未婚のシングルマザーとして娘を育てていくにあたって、すごく気をはっていたところもあって、娘との時間を大切にできていなかったかもしれないという後悔が、ふと過ります。心に余裕がなくて、娘を十分にぎゅっとしてこなかったかもしれない・・・

今頃になって「抱っこさせて」と言うのだけれども、娘からは「きもい」と言われます。まあ、確かに……スマホを見ながら、お菓子を食べていたら、母親が突如として現れて、何の脈略もなく、「抱っこさせて」なんて言ってきたら、気持ち悪いですよね。

小学6年生の時はさせてくれる時もあったのですが、中学生になってからは全然だな・・・としょんぼりしていたら、先日「抱っこしたるわ」と逆オファー。「じゃあ」と手を広げたら、ワキをくすぐられて、こしょばし合いこ。まだ、こんなことでクネクネと笑い合えるのが、なんだか幸せでした。

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夜中に目覚めて横を見たら、娘の顔ではなく、足があることが・・・13歳の今もあります。保育園児の頃、「どうやって一回転しているんだろう?」と謎に思いましたが、その時よりも背が高くなった今、「スペース的にどうやって?」と謎はますます深まるばかり。

最近も、掛布団や毛布を蹴りまくり、最終的に自分の身体の下に敷いてしまうので、「風邪をひいたら大変」と私の掛布団や毛布をかけていくのですが・・・最終的には、全掛布団と毛布を被ってぬくぬくと眠る娘の横で、寒さに震える私という構図。たまに、「寒いやんかー」と文句をささやきながら、毛布を奪ってみたりもするのですが(笑)。

こんな日常の些細な出来事も、「あの頃は」といとおしく思い出せたらいいなと思いました。生きていれば、日々いろんなことがあって、幸せなことばかりじゃないけれど。こうした幸せなことを、ちゃんと覚えていたいなあと思います。

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娘とは全然、好みも興味も趣味も合いません。「かわいい」とキュンキュンするものも、「いいなあ」とときめくものも、全然違います。

雑貨などの場合、私は「素朴で愛らしいもの」、娘は「白黒。ばちっとかっこいいもの」が好き。スキンケアの場合、私は牛乳石鹸洗顔オンリー、娘はYouTubeや雑誌などを見て研究。おでかけの場合、私は自然の中でのんびりしたい派、娘は東京などショッピング&都会派など。同じ家に暮らし、一緒に歳月を積み重ねてきたけれど、そもそも違う人間だから当たり前なのですが、不思議でおもしろいなあと思います。

互いに刺激を受け合うこともあり、私は最近ニベア保湿を再開しました。あと、「TWICE」の曲も聴くように♪ 娘はこのフリーペーパーづくりにつきあってくれています(笑)。そろそろ、つきあってくれなくなるかなあ??という予感も。

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テレビやSNSなどを見ていて、よく感じることがあります。その人の言っていることに、私も賛同するけれど、すごくとげとげしたものを感じて、なんだか傷つく。

自分の意見が正しいという前提、相手の意見を聞く気がない、その人の意見がどうかではなく、そもそもその人が嫌い・・・ということが伝わってくるからでしょうか。想いが強ければ強いほど、そうなってしまうことがあるなあと、私自身も反省します。

そうしてしまうと、違う価値観や意見の人、嫌いな人と対話ができなくて、いつまで経っても対立。表現の仕方や聞く姿勢のつくり方・・・そして、自分自身に「ただの攻撃になってない?」など問いかけ続けることが大切なんだろうなあと思っていました。

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昨年、父が入院・手術を経て退院した時、お祝いとしてオレンジ色のチューリップを家に飾りました。すると、家も家族の気持ちもぱぁっと明るくなり、「花が大きく開いたなあ」「散りゆく姿もいいものだなあ」と日々を豊かにもしてくれました。

一方で、花屋さんで虹色の薔薇を見かけて、「話題性のために人工的につくられたのかなあ」と想像してしまい、複雑な気持ちに。私の「花を買って飾る」という行為も、自分勝手な欲求を満しているだけなのかな・・・など考え続けています。

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新型コロナウイルス感染症拡大防止のための緊急事態宣言が発令された時、外出するといえば、食料品の買い物だけだったので、運動不足解消も兼ねてスーパーまで歩くようにしていました。

いつもなら自転車でぴゅーっと通り過ぎてしまうところを、てくてくと歩いてみると、「こんなところがあったんだ」「ここにこんなお花が咲いていたんだ」と、身近な景色や出来事を丁寧に見るようになりました。見慣れている日常の中にも、たくさんの発見や喜び、楽しみがあることに気づけたんです。

世界でも、日本でも、身近でも、日々さまざまなことが起きています。そのような中でも、そんな発見や喜び、楽しみが心にゆとりを与えてくれ、その心のゆとりが自分自身の元気や誰かを想えるやさしさにもつながるような気がしました。

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1年ぶりくらいに電話で話した方から「元気?どうしている?」と聞かれて、「相変わらず」と答えてしまった私。電話を切った後、「相変わらず」なんてことはないよなと思いました。

私1人のことに限らず、毎日毎日さまざまなニュースを見ながら、その渦中にいるそれぞれの立場の人のことを想像すると、私が「日常」と思っている日々のほうが、むしろ「非日常」なんじゃないかとさえ思えてきます。

目の前にいるあの人も、もしかしたらしんどい渦中にいるのかもしれない。そう想像すると、出会う人に、やさしくありたいなと思います。お店のレジで「ありがとうございます」という時も、ちゃんと気持ちを込めて目を見て伝えようとか、しんどそうかなと思う人を見かけたら、気持ちが楽になるような言葉をかけてみようとか、最近連絡を取っていないなという人に「元気にしてる?」と連絡してみようとか。

そういえば、未婚で娘を出産することを決めた時、応援してくれる方々もいましたが、なかなか傷つくことを言われる場面も多々あり、「この子は祝福されないのか」と落ち込んだことがありました。そんな時、たまたま道ですれ違っただけの、知らない人から「もうすぐかしら。楽しみね」と声をかけてもらって、心が救われたことがあります。

同じ今を生きている者同士、みんなが影響を与え合って生きているのだと思います。そして、ほんの一瞬、道ですれ違うだけでも、誰かを救うことがあるのだから、出会う人にやさしくありたい。そのためには、心のゆとりが大事だから、自分も大事にしよう・・・そんなことを考えていました。

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10

「えんを描く」を書き綴り始めたのも、もともとそういう想いが原点にあったように思います。10年前も、今も、変わったようで、変わっていないのかもしれません。

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~「えんを描く」のコンセプトのようなもの~

日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんで、こんなことが起こるんだろうと思うことがあります。

この現実を変えるほどのことはできないけれど、たとえば「近所の人にあいさつをする」「エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする」「最近、連絡をとっていない友だちにメールしてみる」など日常のささやかなことからつながっていくものがあるのではないかなあと思いました。

近所の人にあいさつをしていたら、おじさんから「あんたがあいさつをしてくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をお裾分けしてもらったり、おばさんから「家の電灯を変えられへんから手伝ってくれへん?」と頼まれたり。私もそう、おなかに娘がいる時に道ですれ違った知らないおばさんから声をかけられて励まされたことがありました。

一人ひとりが目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、娘と一緒につくっています。

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フリーペーパーをつくっていたからこそのつながりができました。そんな方々に向けて、「友だちにお手紙を書くような」感じで書き綴っています。お元気ですか? 日々、いろいろなことがありますが、どうかご自愛くださいね。

小森利絵より




22通目

娘考案「おうち」折り

こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

私は昨年、30代2回目の厄年を迎え、「なんかわからないけれど、凄まじくしんどい」という日々が続いていました。心も内向きに「仕事以外は家に閉じこもっていたい」「人とも極力関わりたくない」「心の中で自分を傷つける言葉が浮かぶ」という状態。とにかく心が疲弊している…「どうしてだろう?」と考える中で思い当たったのは厄年ともう一つ、日々の中で悪意や吐き捨てられるような言葉に傷ついているのかもしれないということでした。

インターネットやSNSの普及などによって、誰もが気軽に、その時の勢いに任せて発信できるようになりました。多様な価値観や想い、考えが共有されるようになった一方で、悪意や相手への想像を欠いたもの、一方通行の突き刺すメッセージをたくさん見かけるようにもなりました。

言葉の端々から「そんなに完璧な人間じゃないと生きていたらいけないのか」「そこまで追いつめられないといけないのか」と思うほどのものを感じ取り、ほかの誰かに向けられた言葉であっても、見ている私自身も傷ついているんだと思いました。

そんな日々の中でよく思い出したのは、広告代理店に勤めていた時に「自殺予防キャンペーン」のコンペに関わったこと。私の記憶ですが、主担当者が「有名芸能人を呼んで、話題性のあるものをすればいい」といった話をしていたので、私は「自殺しようとしている人たちのことを考えようとしているのか」など感情のあまり泣きながら訴えたことがありました。私の意見に賛同してくれた人もいましたが、訴えかけた相手とは関係性がぎくしゃくしてしまったのを覚えています。今振り返れば、相手に対してその内容を考えた真意を聞かぬまま、「表面的にしか考えていない」と自分勝手に怒っただけでした。

その私の言動は今溢れているメッセージと同じだと思ったんです。

SNSなどを見ていて思っていたことがあります。私も賛同できるメッセージだけれど、なんかモヤモヤちくちくしてしまう・・・どうしてなんだろう? その理由を考えてみると、そのメッセージから「この意見(自分)が正しい。あなたは間違っている」というものを感じ取れるからかもしれないと思い至りました。自分とは違う価値観や考えを拒絶したり真っ向から否定したり、その真偽や真意などを知ろうとも調べようともせず、相手の言葉の表層だけをすくって、都合のいいように解釈して言いたいことを言っているだけのようにも思えたり。賛同する人や同調する人にとっては「その通りだ」と思うメッセージかもしれないけれど、実は暴力的なメッセージなのではないか。そんなメッセージを投げかけられたら、自分を守ろうとする防衛機制が働いて、結局は互いに主張し合うだけで平行線のままに終わってしまうのではないかなあと思っていました。

あのコンペでの出来事もそんな感じになっていたんだと思います。

もしあの時に戻れるならば、「相手の根本にある想いや考えを聞き出せるように問いかけてみればよかった」「それを聞いた上で、自分が思ったことを伝えればよかった」と思います。また、自分の価値観や意見、想いなどをガチガチに固めず、誰かの価値観や想い、意見などを受けて、自分が感じたり思ったり考えたりしたことも「編み物」のように編み込んで深めていけたらいいなあと思うから、自分の中に編み込める余地を残すとともに、自分の想いや考えなどを伝える時も、その余地を相手に感じてもらえるような伝え方ができたら、相手も言いやすくなるのではないかなあとも。

「それって綺麗事なんじゃないの?」「相手次第では攻撃的にならざるを得ないんじゃないの?」「1対1ならまだしも、対集団では難しいんじゃないの?」と引き続き、自分につっこみを入れながらも、こうして自分の考え方やコミュニケーションのクセを見つめ直し、「こうできたらいいなあ」と思い直すことで、少しずつでもよりよくなっていけたらいいなあと思います。約9年前のコンペの出来事をこうして振り返られたのは1つの成長でしょうか?!

そんなことを最近、考えていました。

最近、どんなことを考えていますか?

小森利絵



~つらつらと~

■先日お友だちと2人呑み。おしゃべりする中で、自分にとってつらかった出来事に対して「~された」という被害者意識が根強い自分を発見。年齢を重ねるごとに、「そうせざるを得なかった」相手のことを少し想像できるようになった気がしていたけれど、口から出てくるのは自分が「~された」ことばかり。そのほかにも「前にこんなことをされた」という色眼鏡で見続けてしまっていることが多いなあと改めて。もし自分だったら「以前、○○だった」と思われ続けていたらしんどいし、誰しも知ったり体験したりなど日々積み重ねていく中で成長も変化もし続けているものです。でも、一度つけた色眼鏡を外すのは難しい。それでもこうした気づきを積み重ねて、少しずつでもと思います。

■そういえば、2013年発行の「えんを描く」特別版でも、コミュニケーションについて書き綴っていたことを思い出しました。えんを描く特別版「すきなものから ひろがって つながって」2号。全内容をウェブ上で公開中↓
http://freepaperloopdrawing.blogspot.com/2014/05/2.html

■きっかけはフリーペーパー!! かつて東京・高円寺で家庭料理のお店をされていた「みじんこ洞」さん。もともとミニコミを発行されておられたそうで、フリーペーパー&ミニコミ好きが集まってごはんを食べながら談話する「ミニコミ会」開催、フリーペーパー&ミニコミ検索サイト「みにこみ洞2」運営など、フリーペーパー&ミニコミ愛を感じるお店でした。みじんこ洞さんとの出会いは確か2013年、ツイッターでみじんこ洞さんのことを知り、「『えんを描く』を置いていただけませんか?」とメールを送ったことを機に、置いていただけることになりました。2016年には初訪問。「こんなフリーペーパーが…」と、まるでマギー審司氏の手品のように、引き出しから次々とフリーペーパーが!! 「昨日はこのフリーペーパーの発行者が来ていましたよ」なんてお話も聞いたり、個人発行のフリーペーパーと家庭料理(その日は「豚肉と大根のとろとろ角煮」を食べました)の組み合わせが心に染みたり。フリーペーパーをつくっていなかったら、出会えなかったかもしれない出会い。みじんこ洞さんは2018年に閉店後、「紙もの&てづくりまつり」というイベントを主催されています。そのイベントに置いていただくため、「新しい号をつくろう!」と、この23通目を書き綴りました。




「えんを描く」とは・・・

母と娘(小学生)でつくっています。日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんでこんなことが起きるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことはできないけれど、「近所の人に挨拶する」「連絡を最近とっていない友だちにメールを送る」など、一人ひとりが身近な人にしていくことで、変わっていくものがあるのではないかなあ・・・そんなことを考えながら、つくっています。


【10年で23通+4通◎振り返り/1通目◎】

友だちにお手紙を書くようなフリーペーパー「えんを描く」。2010年10月に創刊して10年。この間に、23通+4通(特別版)の合計27通を書き綴りました。

<一覧>
http://www.freepapernavi.jp/index.cgi?mode=cup&n=1031

1通目はこんな感じ。

この時はテーマを決めて書き綴っていましたし、ワードを使って紙面をつくっていました。

内容は以下URLからご覧いただけます↓
http://freepaperloopdrawing.blogspot.com/2013/11/1.html

21通目

今回の折り方は娘考案。名付けて「新幹線? 小さい屋根のほうがかわいいかな」折り

こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

フリーペーパー専門店「只本屋」山田毅さんのインタビュー記事(美大生の総合情報メディア「PARTNER」掲載)をたまたま読んでいたら、その中に「えんを描く」のことも! 「ひゃあー。嬉しい」という気持ちで、今書いています。

毎年10月になると、「えんを描く」をつくり始めて何年経つかなあと考えます。2010年10月からなので、今年で丸8年。3歳だった娘は、11歳になりました。

そもそもフリーペーパーをつくろうと思ったきっかけは、16年ほど前、私が大学生だった頃にさかのぼります。当時、大阪・北堀江にあった雑貨店&カフェ「クルール」(現在は天六・浮田)で、「青色吐息」「FP」というフリーペーパーを、店主さんからすすめられて手にしました。

白黒コピーして折って、ホッチキスで止めただけの、紙の中にひろがる世界…何気ない日常のことや社会に対しての思い、妄想、とことん追求した興味、その人なりの哲学、自分で書いた小説など、つくり手の世界や情熱が色濃く表れていました。

「市販されている雑誌でなくても、こうして個々人で表現することができるんだ」「それぞれが自分の大切にしたいことやおもしろいと思うことを発信できるんだ」「こんなふうにカフェや雑貨店に置いてもらえて、誰かに手にしてもらえ、交流がうまれるんだ」と衝撃を受け、自分でも発行してみようと思ったんです。

大学時代は「れもんのき」というフリーペーパーをつくっていました。当時は新聞記者か雑誌ライターをめざしていましたし、ギャラリーで知り合ったデザイナーの方に手伝ってもらえることになったので、表紙はイラストレーターやフォトグラファーの方にお願いしたり、特集記事や連載記事をつくったり、執筆依頼したり…など、雑誌みたいなつくりを意識していたと思います。

就職をきっかけに休刊し、今度は編集者・ライターとして、仕事でフリーペーパーや冊子などをつくるようになりました。すると、改めて個人発行のフリーペーパーがとてもまぶしく思えたんです。

誰に何を求められるわけでも、何かを決められているわけでもない、まさに「フリー=自由」でもある。自分で責任を持てるならば、自分が発信したいことを発信できます。また自分以外の誰かに向けて発信する媒体ですが、大多数に発信することを求められるマスメディアでもありません。

たった1人でいいから、届いていたらいいなあ。楽しみにしてくれている人がいたら、嬉しいなあ。と常々思ってきたので、冒頭の山田さんのお話はとても嬉しくて、勢いで書き綴ってしまったこの号。

それでは、また!

追伸:娘は山田さんの記事を読んで、「とても嬉しくなったので、21通目をつくって早く読んでほしいと思いました」とのこと。母娘で似ているなあと思います(笑)。

こもりりえ


つらつらと書き綴る!いろいろ

1.
「只本屋」には2015年から置いていただいています。設置のきっかけは、「只本屋」メンバーの岩城さんにメールでお声がけいただいたこと。当時、岩城さんは学生でしたが、現在はデザインのお仕事をしながら、「只本屋」に関わっておられるとのことで、この3年という歳月の重みを感じます。「只本屋」にはいつも郵送でフリーペーパーを届けていますが、2016年に娘と一緒にたずねて行きました。その日のことを書き綴ったブログがこちら↓
https://freepaperloopdrawing.blogspot.com/2016/09/in_24.html

行く途中、道に迷い、陶器屋さんで道を教えてもらいました。「あのあたりは観光客が多くて、道をたずねられることも多いのだろうなあ」「仕事中に申し訳なかったなあ」と帰りに立ち寄って、娘のお茶碗を買うことに。とても繊細で美しい清水焼のお茶碗と出会いました。娘が使うのを見るたび、その日のことを思い出します。

2.
フリーペーパーをつくってみようという想いのきっかけをくれた雑貨店&カフェ「クルール」。この十数年うかがえていないので、このフリーペーパーを持って行ってみようと思います。

いったん、フリーペーパーづくりをやめた後、再びフリーペーパーをつくりたいという気持ちが膨らんだのは、仕事であるまちの人権啓発冊子制作に携わったことも大きかったかもしれません。

その中で、子どもの虐待や女性の人権、障害のある人のこと、被差別部落のことについて、当事者や関係者にお話を聞く機会があって、その方々もおっしゃっていたのですが、それぞれ異なる問題ではあるけれど、根幹にあるのは「相手のことを想像する」「自分が嫌な事を相手にしない」「自分も他人も大事にする」など、とてもシンプルなことではないか。

でも、そのシンプルなことほど難しい。毎日の中で「近所の人に挨拶をする」「小学生と顔見知りになる」「最近連絡をとっていない友だちに連絡してみる」など、小さなことを積み重ねていくことが大切なのではと思いました。

一人ひとりが目の前にいる人に対してそう接していったら、誰かの心が救われたり、SOSに気づきやすくなったり、出しやすくなったりするかもしれないとも。そういうことを共有できればとの想いで、書き綴っています。

3.
娘の絵を掲載するようになったのは5通目、娘が5歳の時からです。最初から「娘と一緒に」と思ってつくりはじめたわけではありません。娘の絵を掲載したら楽しい雰囲気になるなあと思いついたことがはじまりです。改めて考えると、今の私が感じたり思ったり考えたりすることは、娘がいるからこそ。だから、「最初から一緒につくっていたんだ」と思い至りました。

↑ 娘、5歳の時の絵


↑ この子は「はあとちゃん」。当時、娘がよく描いていました。

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娘コーナー!



冒頭の一文は、娘がパソコンでローマ字打ち。ローマ字表を見ながら、20分かけて打ちました。プリクラの中に人が閉じ込められるというホラー。娘、こわい話が大好きです。こわがりなのに、こわい話が好き…こわがり…なのに。

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自己紹介コーナー!



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当たり!として、何枚かの割合でこっそりくっつけていた「おまけフリぺ」
※クリックしていただいたら、大きく表示されます。

「紙とペン(+自分と伝えたい相手)があれば、フリーペーパーをつくれる!」と思い立ち、旅先の喫茶店&新幹線でB5両面のフリーペーパーを娘とつくりました。

21通目のこのフリーペーパーで、娘が「行ってみたい」と話していると書いた「原宿」へ。昨年は仕事が忙しいを理由に、娘とおでかけの時間をあまり持てなかったので、思いきって「娘が行ってみたい」ところに行ってきました。





【サマーカード2019①】スイカ型抜き親展カード

今年見つけたサマーカードをいくつか紹介します。

昨年もコラム「おてがみじかん」で紹介した「スイカ型抜き親展カード」(サンリオ https://www.sanrio.co.jp/)。


やっぱり、このインパクトは楽しい!! 一目見て、びっくり。まるごと、スイカ! 皮の右上のテカテカ光っている部分など、平面ながら立体にも見えてきそうです。

皮をめくると、種入りの真っ赤な果肉が。スイカをそのまま、ポストカードにしてしまったようなインパクトです。メッセージは果肉部分に書けるようになっています。


サマーカードで「お元気ですか?」を贈ろう
https://www.kansai-woman.net/Column201232.html