どんな毎日をお過ごしでしょうか。
私も、娘も、元気にしています。
先日、取材講座の講師をする機会がありました。ライターとして13年ほど仕事をしてきた中で、さまざまな方々に教えていただいたことや日々取材する中で気づいたことを話し、その後、参加者同士で取材体験を。2時間ほどの講座で、取材について話す時間は50分ほどでしたが、その部分も含め、始まりから終わりの挨拶まで、事細かにセリフを書き込んだ台本を作成しました。
そもそも私は、しゃべってのコミュニケーションが苦手だから、書くコミュニケーションを選んでいるのだと、最近思うんです。めちゃくちゃ緊張しますし、何より自分の口から出る言葉と想いの不一致感に落ち込むことも。こういった講座をする時は、「ここまで台本に書く!?」と自分でもつっこみたくなるくらい、細かくセリフを書きます。
書き上げたら、その内容を自分の中に定着させて、自分の身体になじんだ言葉になるよう、何度も読み込みます。想像の中で、私は漫画「ガラスの仮面」の主人公・北島マヤ(憑依型の演技派女優)。ガラスの仮面を被り、もう1人の自分を演じるような気持ちです。
そんな必死な私を、10歳の娘はくすくす笑いながら見ていました。娘から見ても、よほどの大根役者ぶりだったのか…途中からは、台本を覗き込み、監督ばりに「『ここは○○しました』がいいんじゃない?」「ここはこっちを先にしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスが。
内容にも興味を持ってくれたらしく、突然「お母さんのことを取材するわ」と、取材ごっこが始まったわけです(クリックすると、拡大できます)。
「好きな音楽は?」「好きなお菓子は?」「好きな果物は?」・・・など、若い頃は聞かれたことがありますが、最近はあまり問いかけられない質問が次々と。少し考え込む内容だから、「そういえば、私」と娘の問いかけによって気づけた「自分」がありました。
取材講座でも、参加された方が「自己紹介より、取材し合うほうが、相手のことがより見えてくると思った」と話されていました。
自分で知ることのできる自分は限られますし、その多くは現在進行形の自分ではなく、「こうだった」過去の自分であることもあります。
人それぞれ、違うからこそ、気づけることも、引き出せることも、さまざまです。自分とは違う、「相手」がいてくれることで見えてくるものがあります。「相手」によっても、自分の見え方は異なるんですね。
取材でも、「自分やそのほかの人たちと、この人の違いはなんだろう」を掘り下げて、「この人だからこその、メッセージ、根本にある経験や想い」などをうかがうことを大切にしています。
話は戻って、娘と私の話。
私たちはよく、「趣味も、センスも、あわへんからな」と笑い合います。洋服やブローチ、お手紙アイテム選びなどでも、お互いに「いい!」と思うものが違っているからです。
「なんで、それなん?」「何セレクト?」「その組み合わせ、ないわ~」とつっこみを入れながら、「それ、なかなかええやん」と発見したり、「そんな魅力もあるんや!」と気づいたりできることもあるんだと、娘との関係性から教わりました。購入するとなると、小競り合いすることもあるんですが(笑)。
「好きなものが似ている」「同じだね」も、もちろん楽しい。でも、「似ているね」「同じだね」でわかった気になって、満足してしまうこともしばしば。そうではなくて、同じでも、似ていても、どこが違っているのか…その違いも楽しみたいなあ、と。
最近、そんなことを考えていました。
どんな毎日をお過ごしですか?
どんなことを考えていますか?
おまけ
このフリーペーパーの内容に関連して、
2019年の年賀状ではこんなことを書きました。
(クリックすると、拡大できます)
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フリーペーパー『えんを描く』って?
日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんでこんなことが起こるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことはできないけれど、「近所の人に挨拶する」「最近、連絡をとっていない友だちにメールを送ってみる」など日常のささやかなことからつながっていくものがあるのではないかと思いました。近所の人に挨拶していたら、おじさんが「あんたが挨拶してくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をおすそわけしてくれたり、おばさんから「家の電球を換えるの、手伝ってくれへん?」と頼まれたり。一人ひとりが目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、10歳の娘と一緒につくっています。
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