21通目

今回の折り方は娘考案。名付けて「新幹線? 小さい屋根のほうがかわいいかな」折り

こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

私も、娘も、元気にしています。

フリーペーパー専門店「只本屋」山田毅さんのインタビュー記事(美大生の総合情報メディア「PARTNER」掲載)をたまたま読んでいたら、その中に「えんを描く」のことも! 「ひゃあー。嬉しい」という気持ちで、今書いています。

毎年10月になると、「えんを描く」をつくり始めて何年経つかなあと考えます。2010年10月からなので、今年で丸8年。3歳だった娘は、11歳になりました。

そもそもフリーペーパーをつくろうと思ったきっかけは、16年ほど前、私が大学生だった頃にさかのぼります。当時、大阪・北堀江にあった雑貨店&カフェ「クルール」(現在は天六・浮田)で、「青色吐息」「FP」というフリーペーパーを、店主さんからすすめられて手にしました。

白黒コピーして折って、ホッチキスで止めただけの、紙の中にひろがる世界…何気ない日常のことや社会に対しての思い、妄想、とことん追求した興味、その人なりの哲学、自分で書いた小説など、つくり手の世界や情熱が色濃く表れていました。

「市販されている雑誌でなくても、こうして個々人で表現することができるんだ」「それぞれが自分の大切にしたいことやおもしろいと思うことを発信できるんだ」「こんなふうにカフェや雑貨店に置いてもらえて、誰かに手にしてもらえ、交流がうまれるんだ」と衝撃を受け、自分でも発行してみようと思ったんです。

大学時代は「れもんのき」というフリーペーパーをつくっていました。当時は新聞記者か雑誌ライターをめざしていましたし、ギャラリーで知り合ったデザイナーの方に手伝ってもらえることになったので、表紙はイラストレーターやフォトグラファーの方にお願いしたり、特集記事や連載記事をつくったり、執筆依頼したり…など、雑誌みたいなつくりを意識していたと思います。

就職をきっかけに休刊し、今度は編集者・ライターとして、仕事でフリーペーパーや冊子などをつくるようになりました。すると、改めて個人発行のフリーペーパーがとてもまぶしく思えたんです。

誰に何を求められるわけでも、何かを決められているわけでもない、まさに「フリー=自由」でもある。自分で責任を持てるならば、自分が発信したいことを発信できます。また自分以外の誰かに向けて発信する媒体ですが、大多数に発信することを求められるマスメディアでもありません。

たった1人でいいから、届いていたらいいなあ。楽しみにしてくれている人がいたら、嬉しいなあ。と常々思ってきたので、冒頭の山田さんのお話はとても嬉しくて、勢いで書き綴ってしまったこの号。

それでは、また!

追伸:娘は山田さんの記事を読んで、「とても嬉しくなったので、21通目をつくって早く読んでほしいと思いました」とのこと。母娘で似ているなあと思います(笑)。

こもりりえ


つらつらと書き綴る!いろいろ

1.
「只本屋」には2015年から置いていただいています。設置のきっかけは、「只本屋」メンバーの岩城さんにメールでお声がけいただいたこと。当時、岩城さんは学生でしたが、現在はデザインのお仕事をしながら、「只本屋」に関わっておられるとのことで、この3年という歳月の重みを感じます。「只本屋」にはいつも郵送でフリーペーパーを届けていますが、2016年に娘と一緒にたずねて行きました。その日のことを書き綴ったブログがこちら↓
https://freepaperloopdrawing.blogspot.com/2016/09/in_24.html

行く途中、道に迷い、陶器屋さんで道を教えてもらいました。「あのあたりは観光客が多くて、道をたずねられることも多いのだろうなあ」「仕事中に申し訳なかったなあ」と帰りに立ち寄って、娘のお茶碗を買うことに。とても繊細で美しい清水焼のお茶碗と出会いました。娘が使うのを見るたび、その日のことを思い出します。

2.
フリーペーパーをつくってみようという想いのきっかけをくれた雑貨店&カフェ「クルール」。この十数年うかがえていないので、このフリーペーパーを持って行ってみようと思います。

いったん、フリーペーパーづくりをやめた後、再びフリーペーパーをつくりたいという気持ちが膨らんだのは、仕事であるまちの人権啓発冊子制作に携わったことも大きかったかもしれません。

その中で、子どもの虐待や女性の人権、障害のある人のこと、被差別部落のことについて、当事者や関係者にお話を聞く機会があって、その方々もおっしゃっていたのですが、それぞれ異なる問題ではあるけれど、根幹にあるのは「相手のことを想像する」「自分が嫌な事を相手にしない」「自分も他人も大事にする」など、とてもシンプルなことではないか。

でも、そのシンプルなことほど難しい。毎日の中で「近所の人に挨拶をする」「小学生と顔見知りになる」「最近連絡をとっていない友だちに連絡してみる」など、小さなことを積み重ねていくことが大切なのではと思いました。

一人ひとりが目の前にいる人に対してそう接していったら、誰かの心が救われたり、SOSに気づきやすくなったり、出しやすくなったりするかもしれないとも。そういうことを共有できればとの想いで、書き綴っています。

3.
娘の絵を掲載するようになったのは5通目、娘が5歳の時からです。最初から「娘と一緒に」と思ってつくりはじめたわけではありません。娘の絵を掲載したら楽しい雰囲気になるなあと思いついたことがはじまりです。改めて考えると、今の私が感じたり思ったり考えたりすることは、娘がいるからこそ。だから、「最初から一緒につくっていたんだ」と思い至りました。

↑ 娘、5歳の時の絵


↑ この子は「はあとちゃん」。当時、娘がよく描いていました。

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娘コーナー!



冒頭の一文は、娘がパソコンでローマ字打ち。ローマ字表を見ながら、20分かけて打ちました。プリクラの中に人が閉じ込められるというホラー。娘、こわい話が大好きです。こわがりなのに、こわい話が好き…こわがり…なのに。

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自己紹介コーナー!



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当たり!として、何枚かの割合でこっそりくっつけていた「おまけフリぺ」
※クリックしていただいたら、大きく表示されます。

「紙とペン(+自分と伝えたい相手)があれば、フリーペーパーをつくれる!」と思い立ち、旅先の喫茶店&新幹線でB5両面のフリーペーパーを娘とつくりました。

21通目のこのフリーペーパーで、娘が「行ってみたい」と話していると書いた「原宿」へ。昨年は仕事が忙しいを理由に、娘とおでかけの時間をあまり持てなかったので、思いきって「娘が行ってみたい」ところに行ってきました。





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